来週から授業が始まる。
1か月もの間授業がなかったおかげで、軽やかな日々を過ごすことができた。授業なんて、週に3日がちょうど良い。本音を言えば1日でもいいくらいだ(本音を言わなければ、5日でかまわない)。そもそも、自分は学生の頃から学校に通うのが苦痛だった(これは学校が嫌いだったというわけではなく、通学が面倒くさかったのである)。それなのに、なぜか今は日本語学校で教師をしているのだから、人生というものはまったくもって不可解である(妻もわたしと結婚したことに、当時の自分自身の行動が不可解だと言っているので、不可解な行動は誰しもがすることであるとわかる)。
夏休みが1か月しかないことに対して、学生たちは文句を言っていた。それは「もっともな話だ」と、わたしは心の中で頷いた。ここまで学生の意見に共感したことはなかった(国籍は違えど、休みに対する気持ちは世界共通らしい)。しかし、彼らはわたしに文句を言えるという特権を持っているが、一方、わたしは誰に文句を言えばいいのか分からない。学生にはわたしと同じように文句を言われる境遇に立って欲しいものである。
さて、夏休み明けの学生たちはどのような変貌を遂げているだろうか。例年、髪の毛を染める学生が多い。そのような学生には「今のうちに好きなだけ髪で遊んでおけ、いずれわたしのように毛量が減ってきて、髪の毛で遊べなくなるぞ」と教師としての助言を心に中で声高にすることにしている。
そして現在、8月26日、月曜日の午後10時。明日から授業が始まるというのに、私は何ひとつ準備をしていない。「果てさて、どうしたものか」と悩む余地もなく、今できることといえば布団に潜り込むことぐらいだ。寝ることで何か奇跡的な解決策が浮かぶことを、少しだけ期待しようではないか。こうしてわたしは、自らの怠惰を正当化する新たな口実を得て、安心して眠りにつくのである。
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